新しい時代を生き抜くことよりも、負けても幸せになれることが重要なのでは

 最初に言うと、俺は教育というものに踏み込んだことが無いので、適当な事しか言えないのだが、最近思うところを書いていきたい。ここ最近、IT技術の発展やAIというワードに押されて、教育方法について模索が進んでいるように見える。それはつまり能力教育だと思うのだが・・・。

能力には才能がつきもの

 最近は義務教育としてプログラミングを教える流れが強まっている(確定しているのか?)が、当然のことながら、プログラミングには適性がある。俺は進学校に居たこともあって、高校の時にやらされたし、会社の研修でも学んだのだが、どちらにおいても出来るやつとそうでないやつで完全に二極化していた。もちろん、好き嫌いも大きく関係するので、出来ないやつの頭が悪いとは一概に言い切れない。

何にせよ、プログラミングに限らず、能力教育というものには勝ち負けが大きく出る。もちろん勝ち負けは重要だ。勝つからこそ能力の高いやつはドンドン伸びていくし、負けることで自分の適性の無さを知ることもできる。特に現代の資本主義社会では、勝ったやつ、端的に言うと金儲けに勝ったやつが偉い。勝ち負けが常について回る時代だ。重要なのは負けたやつのフォローだ。

負けた奴の生き方を模索する必要がある

 学生生活で求められるほぼ全てにおいて負け続けた実体験として、敗者の絶望感は腐るほど味わっている。救済措置が必要なのだ。敗北が学生時代で終わるならマシだろう。卒業後にきちんと働いて金を稼げるようになれば、社会で人として認められるようになるし、それなりに自信を取り戻すことは出来る。しかし、そうではなかったら。

社会人として負けるということは、生涯負け続けることを意味する。正直な話、金を稼ぐという点において何もできない人間というのは存在するものだ。資本主義社会が加速する中で、これは本当に絶望的な状況である。

だから、負けても幸せになれる方法を考えるべきであり、子供の頃から教えるべきだと思うのだ。ITは生活を豊かにするようで、勝ち負けをより明確にし始めている。これからはもっと格差が顕著になる時代だ。

本当の富とは、誰もが幸せになれることではないのだろうか。